とりとかもの備忘録

大学生です。

敬語と日本人の自己肯定感の低さについての仮説

こんにちは、とりとかもです。

 

書き溜めてタイミングを見計らっていた記事を放出しようと思います。2月に書いたので何かとズレてますがご容赦ください。

 

バイト先では集団で中学生に国語と社会を教えているのですが、3月からの新年度、社会を教えられる講師が私しかいないようでピンチに陥っています。代講頼めないやんけ。

 

 

それでは本題に

 

今回は章立てずに書きます。

便宜上日本人と表記していますが、広義の日本人です。

 

最近ふと思ったのですが、敬語って私の知る限り日本固有の文化ですよね。もちろん敬意を表す表現やかしこまった表現というものはある程度どの言語にもあるのではないかなと思いますが、ここまで一般に浸透していてなおかつ厳格な敬語は知りません。理系なのに言語オタクの弟に聞いたらあるのかもしれませんが。

 

日本人の自己肯定感の低さに関しては再三問題視されていますよね。島国で攻め込まれたことがないからだという論もよく見かけます。

 

 

 

 

ふと風呂に入りながら2つがつながって謙譲語という自分を下げることで相対的に相手に敬意を表する表現に慣れ親しんでいるからこそ、他の国よりも自分と他人を比較して劣等感を抱き、自己肯定感が低くなるのではないか、と思いました。

 

日本人は控えめだ、謙虚だというのもよく言われていますが、他国でその姿が奇妙に映るのは他の言語では敬意を表す場合は上の方向にしか地位が変わらないのに対して、日本語には下に下げることで地位を変えるという表現があるからなのではなのかなと。

 

他人と比較するということもよく言われていますが、尊敬語が絶対的な関係の変化であるのに対して、謙譲語ってあくまで相対的な関係性の変化なんですよね。「あなた」と「わたし」の間の関係性を変化させているだけであって。そのような価値観というか言語観で人付き合いをしているから身近な他人と比較することが癖になっているのかなと。

 

 

そう考えていったら様々な日本人の特徴といわれるものが説明できるような気がして。

謙虚だ、控えめだ、自分の意見を言わない、他人に合わせる、など。

 

私自身は海外は旅行に行きたいなくらいにしか思っていないくらい日本が大好きですが、私自身もそうであるように自己肯定感が低くて悩む人って多いのではないのかなと思っています。検索した時にあまたの自己肯定感をあげるための方法が出てくるんですよね。「結局需要と供給だから」が口癖ですが、需要がなければそのような情報はネット上にあふれていないわけで。

 

自己肯定感が低いことって自分個人を責めがちですが、そうではないのではないか。

かといって日本語が悪いわけでも国民性の問題でもなく、あくまで言語の特性の一環にすぎないのではないのかなと。

そう思って一種諦めの気持ちをもって生きていくほうが楽だし、実際に少なからずその要因もあるんじゃないかと思っています。

 

 

 

 

最近中学生向けの国語の文に触れすぎて思考力と語彙力が圧倒的に低下しているので大学生の身分では論が破綻している気がしてならないのですが、備忘録には書いてもいいかなということで書いてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今回は、

『ニッポンノD・N・A!』/BEYOOOOONDS

 

初めて聞いたときに衝撃を受けた曲です。

ここまで軽快に今の日本社会の在り方に疑問を呈すことができるものかと。

だからといって聞いた後もやもやするとか反骨心が生まれるとかは全くなくてむしろすっきりして元気が出るんですよね。サビのリズムがいいのもあります。

 

多様なハロプロ加入経緯とバックグラウンドをもつメンバーが集まったBEYOOOONDSが歌うからこその説得力もきっとあります。例えばモーニング娘が歌ったらまた違った感想になるのかもしれません。

グループごとに同じ曲でも様々な表現がみられるのがハロプロのいいところですよね。

 

 

ビヨの中では一番衣装が好きです。ユニットごとにトップスの形が違うのもいいですし、メンバーに合わせてボトムスが違うのも最高です。個人的にはりか様(島倉りかちゃん)の衣装が好みです。

 

あとは出だしの美葉ちゃん(平井美葉ちゃん)が最高なのと、シンプルにみんな歌がうまい。そして後列にいたほのぴ(小林萌花ちゃん)を前の列にして自分はさがるいっちゃん(一岡伶奈ちゃん)最高。

 

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